翡翠の若葉亭

夜明け前の糸紡ぎ[2/2]

 ある出来事を思い出し、小さく息をついて腕を組んだ。

 数日前に、赤髪に赤いバンダナを付けた戦士と遭遇した。
 その男はリキの父親の追っ手と同様に「リキを探している」と言い、ロマに連れ戻すと言った。

 リキの父親――フェルベールの本拠である自由都市同盟の屋敷に連れ戻すという追っ手の話には聞き飽きていたが、その男は別の場所へ連れ去ることを考えているようだった。
 さらにタチの悪いことに、その人物の特徴はリキが口にしていたナイトメアの喧嘩相手という探している男の特徴にひどく酷似していた。
 思い返せば、それを察した俺はひどく身勝手になっていたように思える。

 リキは恩人であり、その恩人が探している人物が訪ねてきたのであれば、引き合わせることが恩返しとしては正しいはずだった。
 だというのに、『リキは死んだ』とフェルベールの追っ手にもほとんど使わなかった言葉で真意を確かめたり、捜索を諦めさせようとした。なぜそのような行動を取ったのか、当時は自分でもよくわからなかった。
 だが、それからまた数日後にリキと話して理解――否、予感を確信してしまった。

 リキはこの旅をやめて、ロマに帰りたいのだという。
 早くその喧嘩友達と会って、また喧嘩をして、仲良くそのロマという場所でその友人と共に末永く穏やかに暮らしたいのだそうだ。

 あれだけ過激な行動ばかりしていたリキにしてはらしくないと、このまま別れることが不満だという身勝手な衝動から反発したが、しかしそれは結局、意味を成さずに終わった。

 喧嘩友達などという、友人という親しい存在を持つ人の気持ちや、帰省本能など、全て焼かれて何も持たない俺に理解できるわけがないという結論に至ったのだった。

 だから、互いに探している二人が出逢えば、俺とリキの縁はここで切れる。二度とリキに合うこともなく、恩を返すこともなく、俺はルリカ――新たな雇い主と残りの仲間と共に旅をして、やがて別れて、全ての目的を果たしたにせよ、果たせなかったにせよ、世から消える。
 きっと俺は、この日常に慢心して欲張りになっていたのだと今は思う。

 空が徐々に青に染まっていき、東の空が明るくなっていく。
 鳥のさえずりがようやく騒がしくなりはじめ、通りをちらほらと人が出歩き始めていた。
 あと二時間もすれば、冒険者の町らしい喧騒が人ごみと共に満ちていくだろう。

 それとなく魔王討伐時に使用した双剣の片方、ピアシングを抜き、刀身を眺める。自身の醜い姿が鏡のように磨いてきた柄に映り込んだ。剣に映った俺が、口を開く。

「俺の雇い主は、ルリカ・ド・ヴァール。与えられた使命は、ルリカを守ること」

 雇い主はリキではない。あいつはもう目的を持たない。別れるのであれば、それが終わりだ。
 これからはルリカを守ればいい。手を広げるのであれば、ルリカとその仲間を守るべきであり、もしリキが旅を拒むのであれば、仕方がない。
 外の世界に興味を持つ者と、持たざる者が共にいても、いずれは解離するだけだ。

 理解できない自身の感情の乱れを、思考を割り切ることで正していく。
 護衛に余計な感情は不要、大きな恩があったとしても返す機会を与えられないのであれば仕方がない。
 何より、恩人が別れを望むのであれば、そして雇い主が止めないのであれば俺は口を出すべきではなかったのだ。
 リキに共に旅をしないかと話を持ちかけてしまった時もどこか返事に迷いを見せていたことを思い返しても、もう別れは避けられないものだったのだろう。

 良い出会いをした。
 しかし、別れも良いものとなるとは限らない。

 下を見下ろし、赤髪に赤いバンダナを付けた斧戦士の姿をじっと見据えた。
 やがて団子を持った幼い少女と奇妙な団子を持ったゴーレム、そして青い剣士風のリルドラケンが合流し、何やら相談をしはじめた。ように見えたが、間食に団子を分けあっただけのようだ。

 ――恩返し、か。

 ピアシングを鞘に戻し、黒の外套を翻して足早に階段を降り始める。
 仲間たちが眠る二階を通り過ぎて一階まで降り、足音もなく玄関の扉に手をかけた。

「もう、いいのか?」

 後方から声がかかる。
 どうやら一階で、いつかこの行動に出ることを見越して早朝からロビーの席を陣取っていたようだった。
 だがその人物は口うるさい上に声が大きく、あまり好ましく思っていない。

「……ああ。終わらせに行く」
「そうかい。んじゃあ、泣きたくなったらうちに来い。こたつとミカン、あとふかふかの抱き枕をロボどもに用意させて――」
「行くわけがない。それと、やはり魔動機術はあまり役に立っていない。俺に構うな」
「なんだと貴様ーっ! わりと戦闘でターゲットサイトとか使っているのは知ってるんだぞー!」

 ぷんすかと機械狂の老人がわめきたてるのを尻目に、外へ出る。
 そして、足音を殺しながら歩き出した。

 迷いは切り捨てた。思考は割り切った。甘えを断つと決めた。

 引き合わせるのは飛行船搭乗の予定が決まり、旅立つ前。
 それまでは会わせるつもりなどなかった。

 ――ずっと、こんな日々が続けばいい。

 不相応なことを考えるから、こうなるのだと何度も繰り返して理解しているはずの後悔をまた繰り返している。身勝手なことを考えて、良い結果になった試しはない。

 恩人には不幸ではなく、幸福を渡す。
 そうしてまた、新しく旅を始める。

 別れと旅立ちは互いに同時のほうが後腐れもないだろう。
 二度と振り返らないように。

 黒衣の剣士は明るみ始めたアルカドの雑踏に、朝日を受けて伸びた影に身を溶かすように踏み込んでいった。

 迷いはなく、目的は明確だった。

 ある男に再会を、そしてよく知る少女に別れと旅立ちを贈るために……。


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