ヒサメのお料理教室☆ステーキの巻 [後編]
「まず、お肉に塩胡椒を振りかけまーす。たっぷりだけど、お好みでいいよー。ペッパー苦手な人は胡椒少なめか、胡椒無しでオッケー」
「へいへい」
ヒサメが塩を慣れた手つきで肉全体に振りかけ、胡椒の実をゴリゴリとミルと呼ばれるコーヒー豆を挽くような道具でハンドルをグルグル回して粗挽きにした胡椒を楽しそうに振りかける。
その横でシュガは肉が真っ白になるほど山々と塩を振りかけてーー否、肉を土台にした塩の山を作り上げていた。
さらに塩の山に飾りつけるようにミルで挽いていない胡椒の実を塩に埋め込んでいる。
「よし、完成だな」
「……へっ?」
シュガのゴツゴツした手によって大胆に生み出されたものはまるで純白のスライムが如き塩の山。その中にはマグマのように赤い輝きを放つであろうステーキ肉がいずれ来るであろう外へ救い出される時を待ち眠り続けて……
「な、なにしてるのシュガ? お山を作ってるの?」
「ああ、やっぱインパクトは必要かと思ってな。ふっふっふ、さすがにお前も塩コショウをこうやって使う発想はーー」
「それは干し肉だよー! もう、生肉に触れた塩は基本的にもう使えないんだよ!? まったくもー」
ヒサメが頬を膨らませながらさらさらと白い小山を崩していく。
それをシュガは信じられないものを見るような眼で衝撃を受けていた。
「あーっ! 俺の作品が! お前が塩はお好みでいいって言ったからやったんだぞ!?」
「でも作るのはステーキだもん! シュガ、あんまり変なことしてると視聴率下がるからジチョーしてよね! スーさんも怒ってるよ!」
「なんだ、シチョーリツって? ってか、スーさん!?」
ヒサメが目線で示す方向を見ると、スーさんが耳を不機嫌そうに伏せながらじっとりとした目で手に持ったプラカードをペンでパシパシと叩いている。
プラカードには、
『巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて巻いて飽きた巻いて』
と、落書きの猫も混じって書かれていた。退屈さをひしひしと感じさせる心に強く訴えかける強いメッセージ性に秘めた一枚である。
シュガは困惑する。
「つっても、ヒサメがわけわからんことばっか言うから……」
「はい、あんたは人のせいにしない! とにかくこんな序盤から突っかかってたら終わるものも終わらないから、さっさと巻いていくよ!!」
早く終わらせようと意気込むアネゴことアジュールとは対照的に、シュガはすっかり面倒臭そうな表情をしていた。やる気ゲージはゼロからマイナスへと振り切れてしまったようである。
「えー、もうバイトの時間近いし帰りたいんだが……」
「大丈夫! ヒサメがバッチリシュガの代わりを送り込んでおいたからねー」
「ほら、さっさと塩を取り除いてコショウを挽きな!」
「え、おいヒサメ、それはどういう……って、アネゴ! 腕、骨が折れるッ!」
「いつも大げさなんだよあんたは! いい加減ビシッとしな!」
そうして塩肉と化したシュガのステーキ肉になんとか塩胡椒を振り終え、二つのフライパンにそれぞれヒサメとシュガが一枚ずつ肉を乗せる段階まで進めることに成功した。
ヒサメが心配そうにシュガを見つめる。
「いい、シュガー。絶対プロの料理人っぽくフライパンを振ってひっくり返したらダメだからね? 油が飛んだりして危ないからね?」
「はっ、俺がそんなヘマをするわけ……」
「ダメー! もう、絶対シュガはそれをやると思ったから、基本ひっくり返さないで大丈夫な肉の分量にしておいたからね!」
「いや、それ焦げるだろ」
「もういいから。あんたはもう頭を真っ白にしてゴー君になったつもりで言うとおりにしな」
「ゴー……とか誰が言うかぁ!」
そんなこんなで肉を焼き始める二人。
先生ことヒサメの解説がさらっと入る。
「まあシュガの疑問に答えると、弱火から中火くらいで焼けば基本的に焦げないんだよー。あと特別分厚いお肉でなければ、ひっくり返さない方が全体に熱が伝わりやすくなって、表面だけ焦げて中は生焼け! なんて事態を避けられるのです! ピッツァみたいな感じだね!」
ヒサメがドヤ顔を浮かべ、洋食店のマイケルディーニもドヤ顔でコクコクと観客席でうなずいている。
シュガはつまらなそうに「ふーん」とフライパンの肉を眺めており、特に何かをしでかす気配はない。
会場がその様子に、深い安堵に包まれた。
やがてヒサメの指示のもと、一度だけ肉をひっくり返し、やがて皿に盛り付ける段階にまで奇跡的にトントン拍子に進んでいく。
「か、完成ー! やったね、シュガー!これできっと、お料理レベルが1は上がって-99Lvくらいにはなると思うよー」
「だからなんで俺がそんな低レベルなんだよ! バイトもしてるんだし、せめて2Lvくらいはあるだろ」
「あんな物を出しておいて思い上がるんじゃないよ! でも、今回は良い感じにできたんじゃないかい?」
三人はシュガの作ったステーキを覗き込む。
赤みを帯びた焦げ茶の、見るからに美味しそうなまさにステーキと呼ぶに相応しいその料理はキラキラと脂で煌めいていた。
そこにヒサメがそっとソースと塩胡椒がそれぞれ入った皿を差し出す。
「じゃあ試食だね! ということで、ヒサメの弟子シュガのステーキ、いっただっきまーす!」
「あっ、こら!」
「残念でした、ししょーの特権だもーん」
ヒサメが両手にいつの間にか手にしたナイフとフォークで器用にシュガが完成させたステーキの端を切り分け、アジュールが止める間もなく口にしてしまう。
するとヒサメの瞳がキラキラと輝いた。
「はふっ、あついけど、塩味が効いていて……とっても……がくっ」
目を輝かせたのもつかの間、ヒサメはがっくりと首をうなだれ力尽きたように倒れてしまった。それをあわててシュガが抱き留める。あと一瞬でも捕まえるのが遅ければ、顔面からステーキに突っ込んでしまうところであった。
「な、ヒサメ!? 一体なにが起きたんだ……!?」
「それはこっちのセリフだよ! ……あんた、ステーキにいったい何を仕込んだんだい!?」
「いや、何も変なもんは入れてねぇよ!? ちょっとシーン様の力を借りて軽くフォースで叩いたり、たまたま拾って持ってきていた草を入れて焼いただけで……あれ? なんで草がフライパンに残ってねぇんだ?」
「……あんたはもう本当に……」
ゆらりとアジュールの殺気に満ちた影がシュガに迫る。
ぱきぽきと響くアジュールの組んだ指の音が、怒りの度合いを分かりやすく表していた。
「ちょ、待て、うぎゃあああぁ!」
シュガの絶叫が会場に轟き、そのシーンを最後にバーサタイル(ビデオカメラ的なもの)はカットされた。
その後、シュガの焼いたステーキ肉を検分すると、肉の内面が真っ黒などろりとした液状の物体へと変貌していたのだという。
狂気の片鱗を垣間見た場に居合わせた人々はこれを土の中へと封印し、決して口外しないことを誓い合った。
それを平然と食べることができていたシュガは困惑し呆れていたが、これにより世界はまた一つ、人類滅亡の危機を乗り越えたといえるだろう。
一方そんな大騒ぎが繰り広げられている最中、シュガのバイト先ではヒサメが早朝に一緒に作っておいた二体目のゴーくんが爽やかに働いて色々な意味で話題を集めていたことは言うまでもない。